「大地と共に」
八木 敏夫・光子ご夫妻 株式会社 日野江 代表取締役 |
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一年の計は穀物を植えるに及ぶ物はない。十年の計は木を植えるに及ぶ物はない。百年の計は人を植えるに及ぶ物はない。春秋時代の管仲の言葉です。
人生はそれほど長い訳ではありませんから、果樹を育てる仕事がいかに大変なのかが解りますね。
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「農業は少しづつ広げていく物なんですよ」
敏夫さんは話します。
「作物にもよりますが育苗には7~10年もかかります。単年作と違い、子育てみたいに難しいんです」
光子さんが敏夫さんの労をねぎらうように続けました。
でも、それだけ時間がかかるとブームなどで消費者の嗜好が変わったりしますよね。
「そうです。だから絶えず先を考えながら取り組む事が必要です。いいと思って飛び着くと失敗しますから、ゆっくり考えてやって行くんです。しかも、一品種で十年は持ちませんから・・・」と敏夫さん。
「まるで結婚生活みたいね」光子さんが笑いました。
そうですか、それだと話が早いですね。お二人はお見合い結婚だと伺いましたが、経緯は。
「近所の人から話がありまして、親がこの娘さんなら大丈夫と言ってくれたので決めました」敏夫さんが初めて照れた笑顔になりました。
光子さんは農家の娘さんではないそうですが、抵抗はありませんでしたか。
「私は何も解りませんから、主人について行くだけですので・・・」
家事、育児、仕事と大変なのではありませんか。
「料理は最近まで義母がしてくれてましたから、私はこれもまだ卵なんです」
ところで話は戻りますが、ご近所の方のお話ですと、敏夫さんは何か大きな夢を持っているとか。
「ええ、中国向けの作物を計画中なんです。だから、作るだけでなくバイヤー達との信頼関係も大切になりますね」
農薬の規制があり、しかも旨くて安い物が求められる時代ですから、それだけでも大変でしょうが、これからは人間性のように姿形のない物まで影響して来るんですね。まさに、冒頭で紹介した管仲の『百年の計』の部分ではありませんか。人と大地を相手に生きるのは、さすがに奥深い物なんですね。
ああ、それで思いだした。今週末は実家に戻って菜園にナスビの苗を植えるように頼まれてたんだ。買うほうが早くて安いのに・・・あ、考えが浅いか。
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2007年6月vol.32「よろしく先輩25」

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「誰も知らないところで」
浦川 太一郎・敦子ご夫妻 クラフトベーカリー・オロン
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「うちの奥さんをパンに例えると、食パンですね」太一郎さんが、敦子さんを見る目を細めました。
「主人は、そうですね、フランスパンでしょうか」敦子さんも、太一郎さんを改めて観察するように小首をかしげて言います。結婚して九年目だそうですから、こうしてマジマジと見つめ合うのは照れ臭そうですね。
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二人が知り合ったのは、太一郎さんがパン職人の修行をしていた福岡での事。敦子さんの友人と仲の良かった太一郎さんが、いつの間にか遊び仲間に加えられていたんだとか。同じ夢を持つ若者たちなのですが、そこから先の結婚に至る詳細は“忘れた”そうですから詮索はよしましょうか。
さて、こうして“食パン”と“フランスパン”の交際が始まった訳ですが、ちょっと今、お店がお忙しいようですので、その間、ここで皆さんと一緒に考えてみましょう。
“食パン”とはどんなパンなのでしょうね。食べるに決まっているんですから“食”を付ける必要はないのに、と思いませんか。 もう一つ、“フランスパン”はどんなパンですか。
語源や説とされる物は様々にありますから、あくまでも一般的に言われていることですが、“食パン”は他にも“食べないパン”があるからだとされます。油分が少ないので、デッサンをする木炭を消すのに使いますからね。これはイギリスパン。
では“フランスパン”はどうでしょうか。これも皆さんがイメージされる物だけでなく、フランスで作るパンの総称なのだとか。つまり、こちらのご夫婦はイギリスとフランスの関係なんです。世界史で習う『百年戦争』の対戦国同士みたいですね。今も両国は、あまり仲は良くないと聞きますが・・・。
二人の仕事は、朝の三時半ころから夕刻六、七時ころまでだそうですから、かなり大変なんですね。
「皆さんの喜ばれる顔が私達の幸せでもあります」
「誰もが夢をみている間に、私たちは一緒に夢を作り焼き上げているんですよ」
なるほど、百年戦争になぞらえたのは失礼でしたね。そう言えば、ドーバー海峡には海底トンネルがあり、イギリスとフランスは国際列車ユーロスターで繋がってますもの。この二人も、人知れずしっかりと心を通わせているんでしょうね。
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2007年5月vol.31「よろしく先輩24」

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「素敵なタイミング」
山口 広助・梅美ご夫妻 料亭 青柳 |
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ベートーベンの交響曲第五番『運命』は、曲頭の四つの音符の前に八分休符があります。音のない空間から始まるのですから、休符は要らないと思
うのですが、ピアノなどで試してみますと、なければ緩慢な出だしになってしまいます。
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広助さんは大学を出ると、そのまま横浜の会社に就職をしました。そこで知り合ったのが梅美さん。でも、広助さんは退職して長崎に戻ることになります。
「送別会のあと、最後にデートしてくれませんかと誘ったんです」広助さんは穏やかに話します。
「私は特別な感情は持っていませんでしたし、気軽に応じました」梅美さんは明るく語ります。
でも、それを機会に、離れて以後も電話のやりとりが続き、お互いに訪ね合うようになります。
「私が彼を意識し始めたのは、一年ほど経ったころですね」
こうして遠距離を越えて結婚。梅美さんは“若女将”になりました。
慣れない世界での生活は、大変だったのでは。
「それは何も感じませんでした。真っ白な状態からのスタートでしたから、それが良かったんだと思います。お客様をおもてなしするのも好きですから」着物の着付、茶道、華道などを習う日々が続いたそうです。
一方の広助さんは。
「料亭では、男はする事がないんですよ。あちこち出歩いて、いろんな人と知り合うことが営業代わりになるんです」
なるほど、自治会や史談会など数多くの公職に就いていますね。
「ですから、結婚してから知り合った女性の中にも、素敵な人が大勢いまして」
「--あら、そうなの」梅美さんの言葉が八分休符のように遮りました。
「・・・だから結婚にはタイミングが大事だし、できるだけ多くの人と接するべきですねと言いたいんですよ」広助さんは緊張した面持ちで、こちらに視線を戻しました。
「そうね、送別会の後で誘われていなかったら、結婚してなかったかもしれないし・・・」
人生にはどこかで分岐点がある物ですが、二人のように、別れ間際の八分休符にも似たタイミングが、その後の人生を大きく変えたことを考えますと、正直な言葉にまさる運命はないのかもしれませんね。ですから、こちらもですね、正直に申します。先程から足がシビレてましてね、延ばしてもいいですか・・・。言い出すタイミングを逃して・・・しまいましてね・・・。
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2007年4月vol.30「よろしく先輩23」

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「浮雲」
佐々野 利春・恵利ご夫妻 ささの耳鼻咽喉科クリニック院長
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“今一言・・・今一言の言葉の関を、踰(こ)えれば先は妹背山”
現在では古典のジャンルになるようですが、明治二十年に出版された二葉亭四迷の小説の一節です。
言文一致運動の先駆けとなった頃の作品で、江戸時代の文体を模していますから解りにくいかもしれませんが、『あと一言、肝腎な言葉が言えたなら結婚できるのに』となるでしょう。今も昔も、愛の世界への入り口を抜けるのは多難ですね。
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「主人は口数の少ない、人見知りをするタイプなんです」隣に座る利春さんをみつめながら、恵利さんは笑います。
「彼女は逆に、よく話をするんですが。私は苦手でして」利春さんは、すがるように恵利さんを見つめました。お見合い結婚だと伺いましたが、お互いの第一印象はどうだったのでしょう。
「主人は、普通の人でしたね。でも、眼鏡の奥はとても優しい目をしていました」
「私は、明るい女性だなと・・・」二人は見つめ合いながら、しきりに照れています。先日、結婚十年目を迎えたとは思えない、恋人同士のような雰囲気です。
年齢が一回りほど違うそうですが、決め手になったのはどんな点なのですか。
「趣味や好みは違いますが、価値観が同じなんですね」利春さんが、きっぱりと話します。
それを受けて、恵利さんはうなづきながら「肝心なことは言葉にしないと伝わりませんから、これも大きな決め手だったと思いますよ」
でも、利春さんは口数が少ないのでは。
「“うちに来ませんか”と言われて、遊びに誘われたのかと思ってたら、それがプロポーズだったんです」恵利さんは、明るく笑いました。
当時、恵利さんはイタリアに留学中で、お見合いの翌日には、残りの四ヶ月の勉強のために日本を離れたのだそうです。
「だから、夏に知り合って、最初のデートは冬でしたよ」利春さんは当時を思い出したようにため息をつきました。なるほど、言文ではなく“言動一致”しようにも、相手が目の前にいないのですからね、身も心もポッカリと浮かんだような時だったことでしょう。でも、話しを聞いてますと、こっちが浮いて来るんですけどね、ご両人!
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2007年3月vol.29「よろしく先輩22」

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「せっせっせーのよいよいよい」
石松 隆和・史子ご夫妻 長崎大学工学部教授 |
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ロボットと聞くと何を連想しますか。日本人なら、世代を超えて『鉄腕
アトム』と答えそうですね。時代の最先端どころか、遥か未来への夢がひろがります。でも、ロボットとおぼしき物が考案されたのは随分昔のことのようです。最古の記録とされるのは、紀元前八世紀、ホメロスの叙事詩『イリアス』に登場する鍛冶の神へーパイトスの作った、身の回りの世話をする“黄金の少女”だとか。
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「私もアトムを作りたいと思ってましたよ」
大学で介護用ロボットの研究開発を手掛ける隆和さんは目を輝かせます。
「しかし、自分の傍らに寝たきりの親がいて、人類の未来だとか夢だとか言ってられないでしょ。現実に役立つ物でなければ意味がないと思いましてね」
側で、大学のピアノ講師を勤める史子さんもうなづいています。
「私はピアノ曲だけでなく、“わらべ歌”を通して子育ての支援をしているんです。手遊び歌でスキンシップをとることって大切ですよね」
隆和さんの実家は福岡の農家。そのせいでしょうか、子供の頃から開けっ広げな性格で、幼い子やお年寄りが大好きなのだとか。一方の史子さんの実家は福岡の病院。では、知り合ったきっかけは・・・。
「主人が大学院時代に私の弟妹の家庭教師をしてまして・・・」
そこで、一目惚れですか。
「とんでもありません。玄関のチャイムが鳴ったから出てみると、ビーチサンダルに短パン姿の男の人が立ってまして驚きましたよ」と史子さん。
「ラグビーの練習帰りでしたから。でも、こっちだって、何だこの女はと思いましたがね」
結局、史子さんのお父さんが二人を飲みに連れて行き、それから本格的な交際が始まったのだそうです。でも、決め手は二人とも話してくれません。
二人の生い立ちや仕事を伺っていますと、対照的な世界を想像してしまいますが、見つめあう目の表情からは、子供の興じる“手遊び歌”で、互いの左右の手をクロスして合わせるような温かさが伝わって来ました。人間好きだからこそ出来るロボット、人間好きだからこそ伝えたい歌。二人を結びつけた決め手は、“わらべ歌の心”なんですね。
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2007年2月vol.28「よろしく先輩21」

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