「そして今は」
井手 源一郎・伊寿枝ご夫妻 棚田米農家 |
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田と畑の違いはご存知ですね。稲を作るか、穀物・野菜を作るかで区別します。でも陸稲(おかぼ)という、畑で作る稲もあります。それなら、この場合は畑ではなく田と言い換えるべきだと思うのですが、これは捻くれ者の考えでしょうか。
源一郎さんは農家の跡取り息子、伊寿枝さんはサラリーマン家庭の娘。文字通り“畑違い”の二人が知り合った経緯は何だったんでしょう。
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「中学の同級生だったんです」
「その事を、主人も私も知らなかったんですが、友達に教えられて思い出したんです」
すると、昔は意識する仲ではなかった訳ですね。
「主人はとにかく優しい人なんです。今でも私の友達が遊びに来ると、皆が羨ましがります」伊寿枝さんがおおらかに笑い、源一郎さんが照れ臭そうにうなづきます。
それにしても、農家の仕事は大変ですし周囲の反対はなかったのですか。
「私の高校時代の恩師は“一ヶ月も持たないだろう”と話してましたよ。でも、主人は優しい人ですから・・・」と伊寿枝さん。
「夫婦は、もともと他人ですし、しかも奥さんは全く知らない家に嫁に来るんですからね、大事にしてあげないといけませんよ」源一郎さんは淡々と話します。
そこに伊寿枝さんが身を乗り出して付け加えました。
「農家の嫁になるのは大変でしょうと、よく言われますが、大切なのは自分にとって素敵なパートナーと巡り合うことなんです」
二人は時々、他の農家の息子さん達にお嫁さんの世話をするそうですが、これも自分達の経験に裏打ちされているからこそ出来る事なんですね。
「うちにも息子が二人いますが、それぞれのお嫁さんが“私達も、お義父さんお義母さんのような夫婦になりたい”と言ってくれるのが、何より嬉しいですね」伊寿枝さんは相好を崩して話します。
収穫を控えた棚田の上を、爽やかな風が舞って行きます。この米は、注文を受けた家庭にだけ届ける、名付けて“源さん米”なのだとか。今年も首を長くして待っている人達のもとへ、やがて届くことでしょう。私達も、少しでいいから棚田米なる物を食べてみたいと思ったのですが、場所が場所だけに、この話は棚上げにしておきましたがね・・・。
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2007年11月vol.37「よろしく先輩30」

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「夜明け前に咲く花は・・・」
川島 勇次・愛由美ご夫妻 長崎県営バス運転士
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台風シーズンですね。皆さん備えは万全ですか。
ところで、気圧を表す単位はパスカル。物理学でなじみのブレーズ・パスカルに因んだものなのはご承知の通り。大気圧は100倍を意味するヘクトを付けますが。でも、意外なのは世界初の公共交通機関を考案したのも彼なのだとか。1662年に、それまでは限られた富裕な人しか乗れなかった馬車を、皆でお金を出し合って利用できるようにした乗り合い馬車。つまり、今日のバスなんですね。
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「子供の頃から大きな車が好きだったんです」
勇次さんは、そのまま大人になったような目で話します。なるほど、それでバスの運転手になったんですね。すると亜由美さんがガイドで、職場恋愛だったのではありませんか。
「いいえ。お互いの遠い親戚の紹介で知り合ったんです」
そうですか。今も二人ともほのぼのとした素敵な笑顔ですが、第一印象も良かったんでしょうね。
「おとなしそうな女性でしたよ」
「あら、そうだったの。私の方は優しそうな人だと思ったけど」
おやおや、いきなりオノロケですか。中学生と小学生の子供さんが二人いるとは思えませんね。いつまでも仲の良い秘訣は何でしょうか。
「思いやりでしょう」
「ええ、私もそう思います」
さて、ここから先はオフレコでと言われていましたが、皆さんにだけこっそりお話し致しましょう。
新婚当時、長距離バスに乗っていた勇次さんが、早朝の暗い国道を走って自宅の近くまで来ますと、いつも窓辺からバスに向かって懐中電灯の光がクルクル回っているのが見えたそうです。暗闇に咲いた花は、亜由美さんから勇次さんへの愛のメッセージ。
結婚当初から今日に至るまで、二人の“心気圧”は絶妙に調整され保たれて来たんですね。
それはそうと、パスカルはパンセの中で“人間は弱い葦である。だがそれは考える葦である”と述べていますね。さて、私も弱い葦ですから考えなければ。あちらさんは今朝から機嫌が悪かったようですから、そっとそっとしておきましょうか。気圧の谷を作らないよう、低気圧には近付かないのが賢明ですよね、皆さん。
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2007年10月vol.36「よろしく先輩29」

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「いつもの事だけど」
塚原 祥禎・ツヤ子ご夫妻 塚原造船所 代表 |
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南太平洋フレンチ・ポリネシアには、ヘイヴァ・イ・タヒチと言う祭があり、その中でカヌー競技が催されていますが、この風景を見ていますと、ふとペーロンを思い起こします。
物の本によりますと、ペーロンは中国の詩人の屈原が世情を嘆き悲しんで入水を図った時、それを助けようと早舟を仕立てて捜したのが始まりだとか。今日では中国南部から東南アジアまで分布するそうですから、かなりの騒動になったものですね。
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舟は杉、櫂は樫を用いるそうですが。
「丈夫な舟と、水中でやや曲がって撥ねる櫂が必要ですから、これからの気を使うんです」
さすがに職人さんですね。挨拶を終え、仕事の話になると祥禎さの目付きが凛々しくなりましたよ。
ところで、現在は奥さんが入院中で一時帰宅しているだそうですが、お互いにどのような存在なのですか。
「さあ、それは一口では表現できませんね」
では、ご主人とツヤ子さんを舟と櫂に例えると、どちらがどちらなんでしょう。
「それも難しいですね。夫婦は一心同体ですから。ただ、舟の打ち合わせに多くの人が来て料理や酒を出しても、本人は声を掛けてない限り部屋には入りません。台所の板場に坐ってますよ」
これは相当な亭主関白なのかなと思いますと、ツヤ子さんが自らそうしているのだそうです。
そんな昔気質のツヤ子さんが不在だと、困ることも多いでしょうね。
「娘が二人いますから、日常生活で困ることはありません」祥禎さんは、優しい目で話します。「ただ、七時頃に仕事を終えて家に戻っても、娘達はまだ帰っていませんから、“お帰りなさい”とか“お疲れ様”がないんです。誰もいない所にひとりっきり・・・。普段は当たり前であることが、ふとした機会に消えてしまうと、改めて有り難みが判るんですよ。それが夫婦なんでしょうね」
そして、ポツリとツヤ子さんが付け加えました。
「今があることを、お互いに感謝していますよ」
結婚四十年を迎えたベテラン夫婦ならではの境地かもしれませんが、それも日々の“思いやり”があってこそなんですね。
私共もそう努めようと思いますけど、その前に互いの“思い込み”をなくすのが大変そうですがね。
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2007年9月vol.35「よろしく先輩28」

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「愛の形」
宮下 光世・昌子ご夫婦 長崎神経医療センター院長 安永産婦人科医院理事長
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イギリス人の男性に“子供と奥さんとどちらかを助けなければいけない状況の場合、どちらを助けるか”と質問すると“妻”と答え、女性に聞くと“夫”と答えるそうです。日本人なら、ほとんど“子供”と言うでしょうが・・・。
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光世さんと昌子さんは同じ年齢。しかも、診療科目こそ違え同じ仕事でもあります。そんな二人が出会ったのは、同じ国立病院に勤務している時の“独身会”と称する飲み会なのだとか。
第一印象は特別には何もなかったそうで、結婚を決めたのは数年後。このあたりの経緯が一番知りたいところなのですが、見詰め合う二人の表情だけで解放して差し上げましょう。
ところで、初産が遅かったそうですね。
「三八才の時に、帝王切開しました」
いわゆる高齢出産になる訳ですが、昌子さんの本業が産婦人科ですから大丈夫だったんですね。
「そんな事はありません。やはり、リスクは伴います。しかも生むだけでなく、その後に続く子育てがありますから・・・」
昌子さんは専門の立場であるより前に、ひとりの母親の顔で話します。
それにしても、三人の子供さんに恵まれたのも凄い事ですね。
「子供を持って知る幸福がありますからね」少し照れながら光世さんが続けます。「何よりも、子供は親の分身なんです。困った事に、イヤな所が似て来ますけど・・・」
職業柄、どちらも多忙な二人。偶の休日にハウステンボスへ出掛けるくらいしか時間が取れないと嘆きます。
それならば、仕事上でも互いに助け合っているのかと思いますと“仕事に関しては他人”なのだそうです。愛とは難しいものなんですね。
この二人に上記の質問をしたら、どんな答が返って来るんでしょう!えっ、わたしですか。もちろん自信を持って“妻”と答えますよ。だって、私には子供がいませんから・・・。
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2007年8月vol.34「よろしく先輩27」

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「聖家族」
上野 修・貴美子ご夫婦 くるみ幼稚園園長 |
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『教育の目的とは、空っぽの心と開かれた心を入れ替えることである』と、経済誌の発行者マルコム・フォーブスは言っています。
昨今のような“詰め込み式”ではなく、子供が関心を持てば自ずと知識が入ってくるシステムを構築することなのでしょう。
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「三才までの教育が重要なんですよ。うちでは“心・体・知恵”を基本にバランスがとれた教育につとめています」
修さんが熱く語り、貴美子さんが相槌を打ちます。でも、修さんは大学で法律を学び、貴美子さんは同じ大学の教育学部の出身なのだそうですが。
「実は、一般教養だけ同じクラスだったんです。それで何となくグループが出来て・・・」
「気が付いたら主人と二人だけになっていましてね」
なるほど、知り合った経緯は解りましたが、どうして法学部出身の修さんが幼稚園の経営に携わるようになったのですか。
「卒業後は東京で銀行の外為課にいたのですが、まあ、何となくこんなことになったようで・・・」
「幼稚園はうちの父が始めたんですけど、私は一人娘ですので、後を継ぐためには・・・」
「それで銀行を辞めて、全国の幼稚園を見て回って勉強をしたんです」
明るくて社交的な貴美子さんと、堅実な印象の修さんは、まさにベスト・カップル。そう言えばお互いに顔立ちが似てますね。
ところで、一旦は別々の世界に進んだ二人なのに、結婚の決め手になったのは何だったのでしょうか。
「私は、主人の両親と会った時に、彼に勝るとも劣らずとても素敵な方達だったので決めました」
「そう、私も同じことを感じましたね。結婚は二人だけの問題ではありませんから、親兄弟、親戚との関係はとても大切ですよね」
「素敵な相手を見つけるだけでなく、その人を取り巻く人達の存在も忘れてはならないでしょう。家族と家族の繋がりが良好であって初めて、良い夫婦になれるんだと思いますよ」
含蓄のある言葉ですね。ですけど、話を伺っていても一番肝腎な部分、つまり修さんが銀行を辞めてまで貴美子さんと結婚した訳が伝わって来ませんね。こちらは“空っぽの心”のままなんですよ。
“開かれた心”と入れ替えて頂けませんか、ご両人。
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2007年7月vol.33「よろしく先輩26」

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