「知ってるはずなのに」
中垣内 真樹・優子ご夫妻 長崎大学大学教育機構開発センター 准教授 |
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オーストラリアに行きますと“逆さ地図”が売ってあります。南が上で北が下、東が左で西が右ですから頭が混乱してしまいます。でも、見慣れてた地図を逆様に眺めますと、新しい発見も多くあります。日本付近の地図ですと、日本海がまるで大きな湖のように感じられたり・・・。
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二人は幼なじみだそうすね。
「鹿児島の鹿屋で、幼稚園から中学まで一緒でした」筋肉質の真樹さんは柔和な表情で話します。
その頃からお互いに気になる存在だったんですか。
「さあ、どうかしら。古いタイプの人でしたけど」優子さんは窺うように真樹さんを見詰めます。
真樹さんは関東の大学に進学しましたから、そのままずっと遠距離恋愛ですか。
「さあ、どうだろ」今度は真樹さんが見詰めます。
「彼が大学院時代に、私が遊びに行ったのがきっかけなんです」
「それから交際が始まって・・・。大学院で体育科学の研究に打ち込んでいた時に、彼女と二人で北海道に旅行をしたんですが、それが大きな転換期だったんですね」
「夏休みに一週間ほど車で出かけたんです。何の予定も計画もないままで、私は不安でしたけど」
「いつもそうなんです。フリーのまま旅行するのが好きですから」
「でも、その時に“しっかりした人だな”って改めて感じました」優子さんの言葉に、真樹さんは照れています。
幼なじみだからといって、何でも知っていた訳では無いんですね。
真樹さんが六年前に長崎へ。そこに優子さんを呼び寄せる形で結婚。交際期間が長かったんですね。
「男ですからね、しっかりした生活基盤が出来るまでは待ってもらいました」真樹さんは九州男児の目で話します。
優子さんには見知らぬ場所での生活ですが、不安はありませんでしたか。
「知り合いがいませんから、多少は心配でしたけど、彼がいますから・・・」
ああ、そうですか。訊かなければ良かった。
「“おくんち”に参加した時に、長崎の方々がとても良く受け入れて下さって、有り難かったですよ」
「今は子供に元気をもらっていますしね」
“愛とは見詰めあう事ではなく、互いに同じ方向に目を向けることである”と言いますが、二人は北の大地から南の鹿屋を眺め、そして新しい人生を互いの心の中にみつけたのでしょうね。
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2008年9月vol.47「よろしく先輩40」

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「地球を巡るような恋」
朝長 則男・多加子ご夫妻 佐世保市長
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私はレモンです。フレッシュなイメージがありますから、則男さんのトレードマークも務めてますので、本日は私がご案内致しましょうね。
その前に少しだけ自己紹介。別名を拘櫞(くえん)と申します。クエン酸と言えばご存じでしょう。花言葉は“情熱”“誠実な愛”なんですよ。
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そもそも、ふたりが出会ったのは青山学院大学でのこと。則男さんが、友達と旅行研究会を作って活動していた三年生の時に入学して来たのが多加子さん。勿論、則男さんには当初から気になる女性だったようですし、多加子さんの目にも頼り甲斐のある男性に映ったそうです。
でも、ふたりは卒業して連絡が途絶えていました。そんなある日、サークルの仲間が則男さんを訪ねて来たのをきっかけに再会。ここで“焼け棒杭に火がついた”のが則男さん。
「学生時代より、さらに綺麗になってましたね」
「則男さんも、さらに頼もしい感じでしたよ」
そう来れば後は簡単・・・。と思いきや、則男さんは佐世保、多加子さんは熊本ですから、ここからが大変だったようですよ。今と違ってケータイやメ―ルなんてありませんでしたからね。
「休日には早朝から車で熊本に飛んで行きました」
高速道路のない時代で、片道四時間も掛かったそうですよ。
「三年と少しの間に、132回ほど通いましたね」
則男さんは平然と話し、多加子さんは照れ臭そうに笑います。
それにしても皆さん、考えて見て下さい。片道に四時間ってことは、往復八時間ですよ。仮に平均時速を四十キロとしても、走行距離は320キロ。その132倍だと・・・四万キロを遥かに超える距離を走った計算になります。これは地球一周より長いんです。
「若かったんでしょうね」と、則男さんは笑いながら昔を振り返ります。当時は病院の事務長を務めていたそうですが、その後に市議会議員・県議会議員を経て市長に。車で選挙遊説をするのは大変なことだと思いますが、若い時すでに、“多加子さん獲得作戦”で慣れていたんでしょうね。恐れ入りました。
いま私は、フレッシュなイメージだけでなく、“初心忘るべからず”の理念も仰せ付かっております。でも、ふたりに関して"もう忘れなさい"と申しましても・・・無理みたいですね。仲の良いこと。
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2008年8月vol.46「よろしく先輩39」

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「人生はノン・タイトル」
長谷部 朋香・洋子ご夫妻 |
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映画ファンの皆さんなら、お若い方でも私の事はご存知ではないでしょうか。監督の小津安二郎と申します。今日は、私の映画に出演していた往年の松竹映画のニューフェースだった朋香君と洋子ちゃんがインタビューを受けると聞きましてね、ちょっとお邪魔した次第なんです。
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朋香君が松竹に入ったのは、昭和二十三年。ニューフェースの試験を受ける友達について来て、なんと彼の方が合格してしまったのだとか。それから六年後、俳優座から入って来たのが洋子ちゃんなんです。当時の芸名は“千村洋子”でした。ふたりは私の映画でも、『早春』『東京暮色』などで共演しているんですよ。これは後から聞いたことなんですが、一目ぼれをした朋香君が速達でラブ・レターを送ったんだそうです。当時の彼はなかなかの人気者でしたから、洋子ちゃんは喜ぶよりも驚いたようですが・・・。
昭和三十八年。私は、還暦の歳に皆さんの世界を去りました。同時に、ふたりも映画界から退いて行きました。テレビ時代になり日本映画は衰退しつつありましたからね。私にも、多くの構想があったのですが、こればかりは叶いませんでしたよ。
その後、朋香君は企業のPR会社を立ち上げ、新たな人生を歩み出しました。洋子ちゃんは、中学の演劇部、人形劇団、朗読会などの指導を始めました。
九年前、ふたりは娘さんの嫁ぎ先の長崎に、長男共々移り住みました。今ではオーナー・シェフを務める長男のレストランで広報を受け持ちながら、朗読会の主宰として第三の人生を送っています。
振り返って見ますと、私がふたりと過ごした時間より遥かに長い時が流れたんですね。
でも、高い所からこうして眺めていますと、ふたりはあの頃と少しも変わってないんですよ。朋香君は相変わらず家庭的でハンサムだし、洋子ちゃんの愛らしい笑顔なんかスクリーン時代のままなんですからね。
おや、インタビュアーが難しい質問をしましたよ。“ふたりの、これまでの人生を映画に例えると、どんなタイトルを付けますか”ですって。
「何かしら・・・」「うーん、困ったな・・・」
なるほど、これは私にも解りませんね。ただ、ふたりを見ていますとね、夫婦に大切なものは『共通の価値観』だと思いますよ。生涯独身だった私が言うのもおかしいかもしれませんが・・・。そう、人生ってのは“筋書きもタイトルも無い映画”なのかもしれませんね。そういえば私の墓標にも“無”と書いてありましたっけ。
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2008年97vol.45「よろしく先輩38」

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「大切なのは・・・」
當麻 伸二・五月ご夫妻
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イソップ物語に“蟻とキリギリス”の話がありますね。暑い間にコツコツと働く蟻を見て、キリギリスは笑います。でも、冬になりますと、食べ物のないキリギリスは寒さに凍えます。僅か半年のことなのに、努力の有無は運命を大きく変えてしまいました・・・。
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「親戚から縁談を持ち掛けられたんですが、堅苦しく見合いをするより、メールの方が早いと思いましてね」伸二さんはアドレスを聞き、まだ見ぬ五月さんに直接メールをしたのだそうです。すると、養子が条件だったとか。
「私は三人姉妹の長女ですから」五月さんは他人事のように笑います。
初めて会ったのは、いつ、どこだったんですか。
「昨年の十月八日に、諫早の運動公園で。初対面なのに、私は違和感を感じませんでした」五月さんは、第一印象をにこやかに話します。
「こちらも、やはりそうでしたね。スロースターターで天然ボケなところを感じましたが」伸二さんも顔をほころばせます。
それからちょうど二ヶ月後に結納。早いですね。
「初デートで、彼女が石畳に靴のヒールを取られた時、ここぞとばかりに手を繋いだんですが、嫌がりませんでしたから、これは脈があると思ったんですよ」
「彼は、会話がとぎれても気にならない人でしたし」なるほど、お互いに前向きに相手を分析した訳ですね。そして、三月末に挙式。知り合って半年たらずですが。
「年齢の事もありますし、長く考えても意味はないですから」と、四十歳になった伸二さん。
「私は“理想の人より違和感のない人”が良いと思いましたので、結論はすぐに出ました」と、三十歳の五月さん。さすがに大人のカップルですね。
帰り際に、五月さんがそっと教えてくれました。お腹に赤ちゃんが宿ってるのだそうです。半年前には見ず知らずだった二人。時には蟻のようにコツコツと、時にはキリギリスのようにおおらかに・・・。愛情を育むのは時間ではなく、お互いの長所に寄り添う心、共鳴・共感なんですね。
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2008年6月vol.44「よろしく先輩37」

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「笑顔仕立ての心」
小田 楽天・万里子ご夫妻 カスタムテーラーオダ店主 |
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イギリスの国旗はご存知ですね。日本人なら紺地に白で縁取った赤い「米」の文字をイメージするでしょう。
でも、その由来になると知る人は少ないようです。実は三つの国旗を重ね合わせてあるんですね。
紺地に白い×印がスコットランド、細く赤い×印が北アイルランド、そして赤く太い十字はイングランド。
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「うちは見合い結婚なんですよ。こんな話は照れますね」
そう言いながらも、ご主人は豪快に笑います。
「ここのビルを作る時に、建設会社の社長から薦められていたんですが、ある日、彼女が突然訪ねて来たんです」
「主人の父が気に入ってくれてまして、それで示し合わせてここに様子を見に来たんです」万里子さんはヒバリのような声で笑いました。
楽天さん三十二歳、料理学校で助手をしていた万里子さんが二十七歳の時。第一印象はお互いに良かったそうですが、二人とも、まだまだ純情だったようです。
そのせいでしょうか、楽天さんからの返事はないまま。
「私は、断られたと思ってましたよ」万里子さんは囀るように話し、笑います。
「へえ、初めて知ったなあ」楽天さんは驚きながらも豪放に笑います。会話より笑い声の多い夫婦ですよ。
二度目のデートは、父親が一万円を持たせて、万里子さんの家まで連れて行ったのだそうです。
そして三度目は、楽天さんが友人と催した忘年会に誘った時。これも友人の後押しがあったようですが。
こうして、周囲の三重の支えがあって生まれたカップルは未だに色褪せることがありません。
「奥さんは心が美しい人で、三人の娘たちがそれを受け継いでくれてますよ」嬉しそうに相好を崩します。
「主人は、今でも初めての日と同じように素敵な人なんです。娘たちのお婿さんは、皆が実の息子のように親しみを込めて“とうちゃん”と呼んでくれてますもの」
互いに見詰め合い、あとはひたすら響く笑い声・・・。
ところで、洋服は“仕立てる”と言いますね。「大辞泉」に拠りますと「目的に合わせて作り上げること」とあります。店内のイギリス国旗を模ったマークを見ていますと、この夫婦は、紹介者・父親・友人が協力して仕立てた最良のカップルに違いありませんよ。それに、よく笑いますもの。
お客さんの中には、仮縫いの時だけ飛行機でやって来る方々もいる。まさに、「笑う門には“服”来たる」なんですね。あれれ、二人はまだ笑ってますよ・・・。
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2008年5月vol.43「よろしく先輩36」

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